雇用の流動化にまつわるエトセトラ
私の眠りを妨げるもの。
娘の夜泣き(これは仕方ない)
エレクトリカルパレード(何とかしたいけど、これも仕方ない)
壁ドン(うるさいんじゃ!)
妻です。
先日地元の人(私たちも地元の人なんだけど、ずっとここに住んでる人です)と話をしていた時。
とある亡くなった地元の人の話で、惜しい人を亡くした。。。という趣旨だったのですが。。。
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「とっても優秀な人で、会社を定年まで勤めあげて、その後嘱託のような形で仕事を続けて、リタイアしたら町議会議員になろうとしていたくらい優秀な人なのに、道半ばでなくなって、残念」
・・・
あとから夫に言いました。
「惜しい人を亡くしたってのはわかるけど、定年後働いて、その仕事がなくなったら町議会議員になろうなんて、相当歳だよね。。。」
「もっと若い人に町議会議員になってほしい」
「だよねー。」同意する夫が続けた言葉に、なるほど~っと思いました。
「けど今の日本じゃ、若いうちに町議会議員にかかわらず、政治にかかわるためにいったん仕事を辞めたら、新しい仕事に就けなかったり、収入が大幅に下がる可能性のほうが高いからねえ。」
「リタイア後に余裕のある人がなろうと思うのが当然なんじゃないの。それがいいとか悪いとかではなく。」
おお~。確かにー!
夫すげー!と気分が上がったのもつかの間。
ああ~。やっぱり日本・・・
出るのはため息。
雇用の流動化の必要性が「労働の側面」から高まって久しいですが、雇用の流動化が実現することによって若い人が政治活動をしやすくなるのではないかと気づきましたよ。
近年地方議員の低レベルな話題が取りざたされていますが、それも関係なくはないかも。
志高く、金銭的安定をなげうって政治の世界に入る人ももちろんいると思いますが、多くの優秀な人は会社に就職している確率が今の日本では高いと思いますし。
世襲が日本の政治家に多いのも関係ありそうですね。
そんな夫との会話の後、獲らぬ狸の~もし日本の雇用が流動化したらを考えましたよ。
働く場所が拘束されなくなって、例えばマリンレジャーにハマって海沿いの町で働いたけど、次は登山にハマって山のほうの都市で働くとか、人生で一度は沖縄に住んでみたいとか、自由に働く場所を変えられるのっていいなあ。
それにそういうのって地方都市にとってもメリットになるんじゃないかと思いました。
ある種ステレオタイプかもしれませんが、独身時代は都会で働き、子供が小さいうちは田舎で育て、子供が中学、高校のタイミングで再び都会に、子供が独立したら夫婦で好きな方(田舎or都会)に住みたいと考える人って少なくはないと思います。
それだって実現の可能性が高くなるし、何より変な目で見られることが減るでしょう。
現状でそれをやったら変わり者ですからねえ。
わが夫婦然り・・・
夫は林業で頑張ってくれていますが、収入は現状シビアな我が家。
けど私は不思議なほどHAPPYですよ。
夏は4時すぎに夫が仕事から帰ってきてから車で3分の海で泳げたし、今は思い立ってニセコのナイター(リフト券2,000円!)に行けるのです。
うれしいなあ。
あ、リア充自慢をしたかったわけではないです。
雇用の流動化が進んで「好きな暮らし」ができる人が増えて欲しいなあと思うのです。
政治もね、若い人に参加してほしいなら、やっぱり雇用の流動化だと思いました。
いや、「若い人も参加してほしい」ってアピールだけで、既得権益守りたいから雇用の流動化なんて絶対しないのかもね。
あーやだやだ。
この私のひねくれた考え方。
素直だったあの頃に、戻りたいなんて思わないけどね。